無名の運転手の日記 T

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2001年 12月

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日 付題 名
12月 1日(土) 大変だからこそ、楽しいのです・・・。
12月10日(月) 生きて来たようにしか、生きられない・・・。
12月20日(木) 絶対の自分・・・。



  2001年12月 1日(土)   大変だからこそ、楽しいのです・・・。
仕事仲間のYさんと私は同年代である。
彼は何度も事業を興しているが、失敗して自分の会社を整理して現在の仕事に就いている。
会社経営失敗で出来た負債を返済する為に、資産の殆どを処分したそうである。 
今もその時の負債を抱えていて、毎月、収入の殆どを返済に充てているそうである。
幸い、自分が経営するアパートを一つ残しておいたので、何とか食べていくことが出来ているのである。
彼はよく私の不平不満や愚痴を聞いてくれる。
ただ、聞き流しているのではなく、真剣に聞いてくれているのがよく分かる。
彼とは同じ電車で一緒に帰ることが多い。
その日も「アレが大変だ」「これが大変だ」と、私は自分が抱えている苦労や不満を彼にぶちまけていた。
彼はじっと聞いてくれていた。
そして穏やかに笑いながらこう言った。
 
「大変だからこそ、楽しいんだよ・・・。」
 
私は彼の言葉を聞いた途端、とても気分が楽になった。
自分は「大変だ、大変だ」と言ってるが、よく考えてみると、自分が好きでやっていることなのである。
大変だと思っていたことも、一つ一つを捉えてみると、それぞれが楽しいのである。
アレもこれも大変だと考えずに、「楽しむ気持ち」でやれば、道は開けてくる。
今まで大変だと思っていたことが、楽しく思えてきた。
自分が勝手に「大変なこと」にしていたような気がする。
彼が下車する駅が来た。
いつも彼は、ホームから何度も何度も手を振ってくれる。
本当に大変なのは、彼の方だったのかも知れない。
私も彼に手を振った・・・。
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  2001年12月10日(月)   生きて来たようにしか、生きられない・・・。
午後3時を過ぎた頃からは、ビジネス関係のお客様が増える。
渋谷から銀座方面へ、若い女性のお客様がご乗車になった。
皇居前は、突然の交通規制が為されていて、車が全く進まない。
このような状況下では、お客様が苛立って不機嫌になってしまうことが多いのである。
場合によっては、道の選択を誤ったと言うことで、追求されることも有る。
所が、このお客様は全く落ち着いて平然とされている。
「運転手さんも、こう言うときは大変ですね・・・。」と、逆にこちらを気遣って下さった。
それからは、色々と世間で話題になっていること等をお話しした。
暗い世相のことや悲惨な事件についても、ご自分のお考えを述べられた。
 
「運転手さん・・・私はこう思うのです。結局、自分が生きて来たようにしか、生きられないのではないかと・・・。」

つまり、常に自分のことしか考えないで生きて来た人は、「自分」という狭い範囲でしか生きられず、一生、孤独な人生を送ることになる。
常に他人の幸福を羨んで、不平不満を抱いて生きて来た人は、自分の不幸を嘆いて生きることしか出来ない。
他人を傷つけ、攻撃して来た人は、自分が傷ついて慰められても癒されることは無い。
自分の身に降りかかってくることは、自分の過去の生き様と無縁ではないと言うことである。 
他人を不幸に陥れて、自分だけが幸福になれる筈も無い。
昔から「因果応報」という言葉が有ることは知っているが、この若い女性が発した言葉は、とても重く伝わってきた。
 
「運転手さん、どうぞお元気で。頑張って下さいね・・・。」
 
目的地の巨大オフィスに到着すると、笑顔でこう言って下車された。
このお若い女性に幸多かれと、私は祈るばかりである。
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  2001年12月20日(木)   絶対の自分・・・。
駅前の交差点で、年輩の紳士がご乗車になる。
駅前は交通量が激しくて、なかなか発進出来ない。
あまりにも時間が経過してしまったので、私もいささか焦ってきた。
無理矢理に発進すれば、後続車両と接触する怖れもある。
「すみません。安全第一ですので、しばらくお待ち下さい。」と申し上げると、「運転手さん、急ぎませんので、構いませんから・・・」とお客様が仰って下さった。
そこで、私も落ち着いて安全を確認してから発進することが出来た。
途中で色々とお話を伺ったが、毎日、車を御利用になっているとのことで、実に的確に目的地までの道の指示を与えて下さった。
車に乗り慣れた方であることが、良く分かる。
それだけ多くの、色々な運転手と接して来られたのである。
そして、こう仰った。
 
「運転手さんによっては、サービス精神旺盛のあまり、自分を捨ててまでお客様に尽くそうとされる人がいるようです。「お客様第一」は結構なことなのですが、その中にも『絶対の自分』を、大事にされた方が良いと思います。」
 
つまりお客様の無理な注文に盲従するだけでは無く、「私が運転しているのです。」という存在感を示す必要が有ると仰る。
お客様としては、運転手のしっかりとした存在感が有る方が、安心して乗っていられるそうである。
結局は、それがお客様の信頼を得ることに繋がるのだと仰った。
何でも「ハイハイ」とお客様の言うことを聞いているだけでは、いつになっても職業人として成長出来ないそうである。
それと同時に、どのようなお客様と接しても、「絶対の自分」を見失わない「平常心」が必要だと言うことなのであろう。
お客様とお話をしているウチに、目的地に到着してしまったが、下車される際にも、大変丁寧にご挨拶をして下さった。
「絶対の自分」を主張すると言うことは、我を通すと言うこととは違う。
自分を見失わないと言うことである。
日常生活で、不愉快な出来事や人間関係で問題が生じたときに、カッと逆上するのではなく「平常心」で対応するには、「絶対の自分」の存在が必要なのである。
「絶対の自分」とは・・・?
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