Diary 2013. 1
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1月31日 (木)  自動水栓

駅やデパートのトイレには手をかざすだけで水が出てくる自動水栓が設置されていることが多い。家庭用に販売されている自動水栓の商品がある。価格は8,820円となっていて高価な感じは否めないが年間で約31トンの節水が出来るそうである。我家ではこの製品を2011年5月に購入して使用していたがセンサーの感知能力に若干の不満を持っていた。
昨年の夏季に浄水器が使えないので自動水栓の商品を取り外した。冬になったので自動水栓を再度取り付けたが保管方法に問題が有ったのか内部にゴミが付着したようで吐出口から若干の水漏れを生じるようになった。それが気になって廃棄処分としたが、やはり自動水栓は便利だったと思うようになった。2011年9月からセンサー感度をアップして改良された商品が販売されていることを知り、再度同じ商品の購入を決意した。
商品が届くと説明書も見ないで部品を蛇口パイプに取り付けたが器具との接続部分から水が噴出してしまう。パッキンと蛇口に間隙が生じているようだった。何度やり直しても駄目である。5分ほどしてから試みたらパイプ接続部からの水の噴出は止まったようである。ここで説明書に目を通すと取り付け部品のネジの締め方に問題が有ったことが判明した。4箇所あるネジはガタツキがない程度に軽く緩めに締めることになっていた。そうとは知らず力の限りにしっかりとネジを締め付けた為に蛇口とパッキンの間に隙が生じたのである。自分はこの商品を前から使っていたという慣れと思い込みが、とんでもない結果を導いていたのである。やはり幾ら慣れていると思っても取扱説明書は熟読する必要がある。慣れていると思って手を抜くと失敗をする。何事にも油断は禁物である。


1月30日 (水)  

今朝の午前6時は昨日と同じ午前6時ではなく、今日の午後6時は昨日のお古ではない新しい午後6時である。今日の一日は昨日のお古ではなく、まったく新しく生じた一日なのである。過去と同じ状態を保ち続けることは不可能であって、生き物は老化し物質は劣化を伴って変わり続けているのである。
目が覚めたときに「新しい朝」を意識するか、「いつもと同じ朝」と捉えるかで気持ちが違ってくると思う。ほんの少しでも努力を重ねれば昨日よりも僅かに前進することが出来る可能性を秘めた新しい時間を得たのである。
先日購入した新しい靴の底は減ってきている。これから新しい2月を迎えようとしている。そして新しい春を迎え、夏を迎え秋を迎え、冬を迎えて新しい年を迎える。このようにして新しい時間を積み重ねると、やがては新しい死を迎えることになる。人生とはある一定の間だけ生きて死ぬ・・・ただそれだけのこと。だから今の新しい時間を思う存分に享受したいと思うのである。
今日の食事も一期一食の新しい最後の食事と思ってよく噛んで舌で味わいたいと思う。自分はこの食事に見合うだけの一日を過ごせたのだろうか。


1月29日 (火)  機嫌

生後半年にも満たない赤子が泣くのはミルクの時間かオムツが汚れているかどちらかの場合である。不機嫌の原因を除去してあげれば気持ち良さそうに眠り続けるか時々は天使の微笑みをしてくれる。起きている時に目が合えばニコニコと嬉しそうにご機嫌な笑顔を振舞ってくれる。この頃は(もっと美味しいミルクをよこせ)とか(新しい玩具を買ってくれ)とかでは泣かない。それが年月を経ると色々な欲求が生じてそれが満たされないと不機嫌になり大声で泣くようになる。
成人になると物欲が満たされなくて泣くようなことは無くなるが、精神的な面が満たされなくて涙を流す人もいるだろう。
一日のうちでも朝、起床した途端に不機嫌になることは滅多に無いと思う。歯を磨こうとしたら歯磨き粉が無くなっていて面白くない思いをするかも知れない。朝食のときに嫌な話を持ち出されたら不愉快になって機嫌が悪くなることも有るだろう。満員電車ではマナー違反の乗客に不愉快な思いをし、仕事先では嫌な相手と接しなければならない。そうして一日のうちの殆どを不機嫌な状態で過ごすのを常としていると、やがて機嫌が良いときの自分を忘れてしまうのである。
他人様に「ご機嫌伺い」をするよりも、自分自身に「ご機嫌伺い」をする方が結果としては有効なのである。
自分は今、機嫌が良いのか悪いのかを自身に問うてみる。常日頃から自分自身に「ご機嫌伺い」をしてみる。もしも機嫌が良くなかったら、その原因と対処法を考えてみる。どうでも良い些細なことで腹を立てて機嫌を損ねているのだったら、そのことは忘れて楽しいことを思い浮かべれば良い。好きな音楽を聴くのも良いだろう。何等かの方法で不機嫌な自分を機嫌の良い状態に導くことで、他者への影響を最小限に抑えることが出来る。不機嫌になれば血圧が上昇して消化不良になり身体への被害が生じるが、それは自己を攻撃することに他ならない。怒りは他者には伝わり難いが自己に対する心身への破壊力はメガトン級である。
機嫌良く一日を過ごすように心がければ自然と笑顔になれる。それが出来てから他人様に「ご機嫌伺い」をすれば良いのである。機嫌も不機嫌も周囲に伝染をする性質を持っている。不機嫌な人と接するときには自分自身は機嫌良く接したいと思う。そして間違っても他人様を不機嫌にするような言動は厳に慎まなければならない。


1月28日 (月)  

すべての事象は「気」で成り立っている。天気、大気、空気、湯気、水蒸気、熱気、電気、磁気、殺気、運気・・・等々「気」を含む言葉は数知れず存在する。普段は何気なく使っている「気」を含む言葉の他に、物体から「気」の気配を感じることがある。すべての物体は「気」を発している。
湯気や水蒸気は目で確認できる「気」であるが、目には見えない「気」がある。
「気が休まらない」とか「やる気」とか「気が合う」とか用いるときの「気」は精神状態を表すのだろう。具体的な目標を持って気を張れば血気が盛んになって邁進する事が出来るだろう。その反対は「無気力」で気が緩んでいるから何もすることが出来ない状態となる。
気を張りっぱなしでは気疲れするから、気休めも必要である。
一日のうちで気が満ちるのは日の出から日没までだと言う。それ以降は眠気が働き始めるから睡眠によって翌朝までに気力の回復を待つ。元気になって目が覚めることが大事なのである。
現代の我々は「気」の満ち欠けに気付かずに深夜に頑張ったり興奮したりしている。これでは気の調子がおかしくなる。同じ人でも陽気なときも陰気なときもある。自分自身で「気」をコントロールできれば望ましいが、それには相当な勇気が必要である。高見盛は仕切りの前に気合を入れることで弱気の邪気を祓った。寒気を感じたら暖気が必要である。「気」のことが気になった一日であった。


1月27日 (日)  

不思議な体験をした。母が以前に通っていた長唄教室の先生から電話を頂いたが、用件は母が使っていた三味線の撥(バチ)が欲しいと仰るのである。近日中に長唄の新年発表会が催されるが、発表会のときに使う専用の白い撥が現在は入手困難で新しいお弟子さんが困っているので出来れば譲って貰いたいとのこと。母は既に長唄を辞めていたので撥を譲ることに異存はないが、撥をどこに仕舞ったのか本人はまったく記憶が無いという。
三味線本体を保存するケースに撥を入れる部分があるが、そこに入っていないので所在が不明である。それからが大変であった。母が「あそこかも知れない、ここかも知れない」と家中を探し始めたのである。幾ら探しても見つからないので先生にはその旨をお伝えして諦めて頂いた。然し母はまだ家中を探しまくっている。撥の所在がときどき思い出されて気になって気になって仕方が無いのだ。
今朝、私は何かに呼ばれているような気がしてその場所に立った。棚の奥に「長唄関係」と書かれた箱が有った。誰も予想していなかった場所である。箱を開けてみると撥と教本が入っていた。
あの場所に引き付けられたときの感覚が不思議でたまらない。撥が私を呼んだのであろうか。私の心は透明になっていた。
撥は撥だけでは存在の意義が無い。三味線と演奏者が有ってこその撥なのである。三味線も撥が無ければ成立しない。私の心が撥に触れられたような気がするのである。そのときの弾き手は誰だったのか・・・。
撥が見つかったので先生に連絡をしてお譲りすることが出来た。弾き手に使われてこその撥である。箱の中でずっと眠り続けていた撥と、長年の連れ合いであった三味線と教本を先生にお渡しをして母と私は発表会の成功をお祈りすることにした。撥と三味線と弾き手の関係は森羅万象に通ずる所があると思う。


1月26日 (土)  食事

通常は日に三度の食事をしているが、今まで悪しき習慣として食事中にテレビを観るのを常として来た。目と耳がテレビに気を取られているので、何を食べても料理を十分に味わうことが出来ない。唾液の分泌量も少ない。考えてみると食事は命を繋ぐエネルギーの源である。飲んだり食べたりしているものが自己の血となり肉となる筈であるが、食事の仕方によっては内臓に負担をかける有害な作用を及ぼすばかりか肥満や糖尿病や高血圧を生成する結果となり得る。
三日天下として有名な明智光秀は粽(ちまき)を食べるときに茅(ちがや)を剥かずに口に入れてしまったという。食事中に何か他の事に意識が行っていた結果である。また連歌の集まりでは隣の人に本能寺の堀の深さを尋ねていたそうである。連歌の場でまったく関係の無い場面を暗中模索していた結果である。食事のときは食事を楽しみ、連歌のときは連歌を楽しむべきなのである。
食事のときにテレビの画面ではなくて料理に目をやれば唾液が出てくるのが実感できる。そして口に入れたならば目を閉じて舌で味わいながら十分に咀嚼をする。唾液と咀嚼の働きで吸収されやすくなった食物は栄養物と薬としての両面を併せ持つことになる。加齢により弱ってきた内蔵をいたわることで、血液が内臓だけに集中するのを防ぐことが出来る。腹七分目を目指す。食事の仕方を変えれば色々なものが見えてくるだろう。


1月25日 (金)  運転

「天は自ら助くる者を助く」という諺がある。一切の努力を放棄して「棚から牡丹餅」が落ちてくるのを待つよりも「人事を尽くして天命を待つ」方が運気を招くことが出来ると思う。
「運転」とは乗り物の操作に使われる言葉だが、「運を転がす」と読めば味わいが深い。「災い転じて福と為す」とは身に降りかかる不運な出来事を逆に上手く操作して好運に転じさせることである。
幾ら努力しても報われないと思うのは、まだ成果が出るほどの力を尽くしていないからである。基本の理念は感謝する心だと思う。辛酸をなめる思いで刻苦勉励して頑張るのではなく、与えられた運に感謝をして工夫と努力をすれば良い方向に運を転がすことが出来るのだと思う。


1月24日 (木)  運命

過去も現在も未来も天から与えられた自己の運命に従っているのだとすれば話は簡単である。何も努力をする必要は無いし、すべては天が定めた運命の結果に流されるままである。
若しも運命が決まっていたとしても、努力によってその運命を変えることが出来ると考える方が生活の質を向上させることに繋がるだろう。
多くの天才と呼ばれる人たちは、人並み以上に努力をする才能を有している。故人となった大横綱・大鵬は「天才なのだから勝って当然」と言われる度に憤慨していたそうである。
フジコさんは「運命の力」でピアニストとして成功したのではなく、過去から繋がる努力と修練の積み重ねで実力を発揮して来られた方だと思う。
今も一日の殆どを演奏の練習で過ごされている。
私は何度も演奏を聴きにコンサートに伺っているが、音の響きは回を重ねる度に素晴らしくなっていると思う。その音色はいつも違って聴こえて来る。見えない景色が浮かび、聴こえない音を耳に感じることが出来る。
やはり「運命」は「努力」によって変えることが出来るのだと思う。


1月23日 (水)  張力

何かを成す為にはそれ相応の努力が必要である。努力をするには気を張ることが必要だが、「頑張る」という言葉は「頑なに気を張る」ことになる。
自分はあまり頑張りたくない。「頑な」の反意語は柔和だと思う。気の張り方の調節が肝要で、「緊張の糸が切れる」からと言ってあまり気を緩めるのも具合が宜しくない。ゴムは伸縮性に富む柔らかな素材だが、引っ張ったままにしておくと伸びきってしまう。少し張ったら少し緩めるようにして気の張力を調節する訓練をしようと思う。

昨夜はマスクをして寝てみたが、息苦しいので鼻だけ出して口だけを覆うスタイルを試してみた。朝になったらマスクのゴムが伸びて位置がずれて喉に移動していた。結果として喉の部分が冷えから守られたので幾らか楽になった。今朝の室温は16℃だった。やはり冷たい空気が喉に良くないのだろうと思う。


1月22日 (火)  乾燥

毎朝同じ状態が続いているのだが、起床すると喉がヒリヒリと痛い。就寝前にはさほど痛みを感じていないので、眠っている間に喉に何かが起きているらしい。
どうやら寝ている間に口呼吸をしてしまっている可能性があると思われる。ビデオで寝ている自分を撮影すれば確認が取れるが、喉がカラカラになって目が覚めてしまうことが度々あるので口呼吸のせいで喉が乾燥して痛むと考えられる。
先日から寝ている間に気化式の加湿器を運転させるようにした。起床時に幾らか喉の痛みは和らぐようだがそれでも寝る前よりも痛みはある。
冬の乾燥はウィルスの繁殖には都合が良いらしい。肌も乾燥して痒くなる。
今夜は加湿器を自動ではなくて強制連続運転をしてみようと思う。
口が開かないようにテープで止める方法もあるようだがまだ試してはいない。


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