Diary 2013. 4
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4月30日 (火)  

なんだかんだで今年に入ってから4回目の月末を迎えた。一年の三分の一が過ぎたことになる。末が有れば始めが有るのが自然であるが、生命の末に始めは無いのだろうか。来世という考え方で捉えれば、この世で生命の末を迎えたら、浄土で新しく生まれ変わることになっている。然しながら私には前世の記憶が無いし、前回の生命がどのような結末を迎えたのかも知り得ない。始めが有れば終わりが有るのは理解できるが、終わりが有って始まるのは、いまいち良く分からない。パソコンで再起動をかけるのとも違うみたいだし、私のパソコンのように故障してしまう場合もある。私のパソコンは運良く甦って戻って来たが、データーを喪失した場合には、これまでの資料を失うことになる。新しいパソコンを買って、一からやり直しをするしか無い。バックアップは大事だと分かっているけれど、ついつい怠っているのが現状である。それでも大事なデーターだけは、日々のバックアップを実行している。新しいパソコンも年月が経過すれば、やがては終末を迎えるのだろうから。


4月29日 (月)  

まったく眠れない一夜を過ごして、その日のステージで演奏をするのはどんなにか辛いことであろう。幾ら最悪の体調でも、最悪の音色になるとは限らない。然しそれでも本人は納得が出来ない。ぐっすりと眠れて体調が良ければ、もっと良い音色を奏でることが出来ただろうに・・・と悔しい思いをする。実際にフジコさんは眠れない日々の中でも、演奏活動をされることがある。会場の聴衆には素晴らしい演奏だと思えても、フジコさんにとっては最悪の演奏なのかも知れない。送り手と受け手の価値観は違っているから、私たちが感動しても、フジコさんは悲嘆しているかも知れないのである。人間にとって良質の睡眠は最高の活力源となるが、そのように良く眠れる日は殆ど無いのが現実である。眠れないままに悶々として夜が明けてしまう。快眠を得ようとして意識すればする程、まったく眠れなくなる。「悪い奴ほどよく眠る」という名作の映画がある。機会があればこの映画をじっくりと観てみたいと思う。よく眠れないのは善人の証という分けでもないだろう。


4月28日 (日)  

世の中はゴールデン・ウィークとやらで、中には10連休を取得して、海外に遊興の旅へと出かけた人も居るらしい。古代より人類は金の輝きを重んじて来た。輝きは人の心を魅了して、至上の喜びをもたらす。金塊を所有する人の心は、その輝きで喜び満ち足りているのかも知れない。オリンピックでも金メダルが一等賞である。銀メダルは一歩及ばずの悔し涙となり、銅メダルはそれなりの達成感を得るのだろう。自分の人生に金メダルは有り得ない。銀も無いし胴も無い。鉄メダルも無いので、自分にはアルミニウムメダルがせいぜいなポジションだと思う。昔はアルマイトの弁当箱を持参して学校に行った。アルマイトはアルミニウムを表面処理したもので、アルミニウムのままよりも耐久性が向上している。この10日間は自分にとっては、1円玉硬貨のような、アルミニウム100%のアルミニウム・ウィークなのである。


4月27日 (土)  

波は海上の現象ばかりではなくて、日常生活の中にも波は生じている。さざ波のように穏やかな波が続いたかと思うと、時には上下に大きくうねる波が押し寄せる時が有る。その度に絶望したり歓喜したりを繰り返すのだが、やがて波は元の穏やかなさざ波に戻る。波は元の位置に戻るのである。今は満ち潮なのか引き潮なのかは知らないけれど、やがていつかは本来の位置に戻るのである。


4月26日 (金)  

無欲でありたいと欲するならば、それは既に欲張りなのである。自分に都合の良い方向に物事が進展することを願っても、まったく叶わないことが多い。むしろ自分が望まない結果を招くことの方が多い。自分では悪い結果を想定していた積もりでも、欲の心が期待をしてしまうから、残るのは不満のみである。悪い結果を得たならば、それは自分の欲がもたらした災いなのである。希望と欲はどのように違うのだろうか。欲の心にブレーキをかけることが大事なのだと思う。


4月25日 (木)  

私の前を歩いていた女性は、抱っこひもで赤ちゃんを抱えていた。私は歩調が速いので女性を追い越したのだが、そのとき私の視界に白いものが映ったのである。それは視覚に障害がある方が道路を通行する際に、道路交通法で携行することが定められている白い杖であった。その瞬間には(お気の毒なことだ)と思ったが、10メートル程先に行ってから振り返って見ると、女性は薫風の中を晴れやかな笑顔で歩いているのであった。私は先ほど抱いた感情を恥じた。女性はまったくお気の毒でもないし、私が変な同情を催す必要などまったく無いのである。私は緑に囲まれて、歩きながら考えた。見えて当たり前だと思っていたが、見えることは本当に有り難いことなのである。以前に眼科医で「最近は視力が落ちて・・・」とぼやいたら、医師に叱られたことが有る。「世の中にはまったく視力を失った方がおられるのですよ。」と言われたのである。そのときには、それとこれとは話が違うと思ったが、今日は見えることは、本当に有り難いことだと思えたのである。あの女性と赤ちゃんには、明るく楽しい人生を一緒に歩んで貰いたいと思う。彼女の明るい笑顔を見て、私はそうなることを信じている。


4月24日 (水)  

昨日は焦らずにじっくりと、物事に対して適切に判断をする時間が必要であると述べた。ところが判断が遅れることに因って、不都合が生じる場合も有ることも考慮に入れる必要がある。先手必勝と言う場合がそれである。ああでも無い、こうでも無いと考え過ぎている間に、状況は刻々と変化しているのである。先ほどまでは右に行くのが適切だったが、今の状況では左に行くべきなのである。右に行くか左に行くのか、迅速な判断が必要とされる場合があることを否定できない。車の運転をしていて二股に分かれている道があった。運転者は右に行こうか左に行こうかと、じっくり考えながら走行していてスピードを緩めなかった為に、分かれ道の柱に激突したという、嘘のような実際の話がある。日常生活には「間」がある。間が良いとか、間が悪いとか言う「間」である。間は魔に通じると思う。時間的には僅かの判断のずれでも、物事は反対の方向に進むことが有る。「間」は自分の力でコントロール出来る物ではない。そこには「魔力」が働いているとしか思えないのである。


4月23日 (火)  

昔から「焦りは禁物」と言われているし、「慌てる乞食は貰いが少ない」とも言われている。今日はそのことを、身をもって実感した一日であった。自分に焦るなと言い聞かせるのは、既に焦って自己喪失状態に陥っている証である。アドレナリンが多量に出ると、誰しも焦るし慌てるのである。目の前の状況に対して、落ち着いて適正な判断と処理をするには、少量のアドレナリンで十分なのである。逆にまったくアドレナリンが出ないと、行動する気持ちが出ないから、結果として何もせずして何もし得ないことになる。アドレナリンの量を調節するには、度重なる訓練が必要である。場数を踏んで、何度も同じ局面を迎えて経験を積み重ねると、無駄なアドレナリンは出なくなると思う。消防士が火事の現場で慌てるだろうか?もしも消防士の自宅が燃えていたのなら、それでも慌てずに適正な判断と処理が出来るのだろうか。結局は不慣れな事象に対しては、慌ててしまうようである。平常心を保持するには、百戦錬磨が必要なのである。


4月22日 (月)  

今日は不思議な体験をした。用事があって街を歩いたのだが、自分が渡ろうとする横断歩道の信号がすべて青だった。一つ目の横断歩道を渡ったときは、まぁなんて間が良いのだろうと喜んだ。次の交差点も横断歩道の信号は青だった。歩けども歩けども全て横断歩道の信号は青なのである。こんなことが10回も連続すると少し気味が悪くなってくる。次は赤信号で停止したいと思っても、自分が近づくと信号は青に変わるので、仕方なく横断歩道を渡り続ける。別の見方をすると、信号で少し休憩をする暇もなく、そのまま歩き続けなければならないのである。そうしてコンビニに辿り着いてATMで預金を引き出した。カードと利用明細書をしっかりと受け取って、そのまま店を出ようとしたら後ろからピピピと音がする。「お忘れ物にご注意ください」とATMからアナウンスが流れている。なんと出金された現金を取り忘れて店を出ようとしたのである。これは歩き続けて、少し疲れていたからかも知れない。こうなると連続する青信号は、今日の不幸の始まりのサインだったのかも知れない。今後は少し疲れたと思ったら、青信号でも渡らないで休む必要があると思う。変なの・・・。


4月21日 (日)  

今まで眠っている間に色々な夢を見て来たが、今朝の夢から覚めた時のタイミングは、大変に珍しくて面白かった。夢の中で携帯電話が壊れてショップに修理を依頼した。その日のうちに修理が完了して引き取りに行った。自分の携帯電話を受け取って、ショップのドアを開けて外に出ようとしたら大雨が降って来た。店の人に「大雨が降って来ました!」と言ってドアを閉めた所で、目覚ましのアラームが鳴ったのである。ドアを閉めたときに夢から覚めたのは、一つの節目が完結した時点で現実世界に戻ったことになる。これは大変に気分が良かった。今までは途中下車していた夢の世界であるが、このように節目で夢を見終えることは珍しい。大福餅を食べようとして口をあけたところで目が覚めて、大変に悔しい思いをしたことは何度も有る。大福餅を食べ終えたところで目が覚めたら、気分がスッキリして得をした気分になれるだろう。現実の世界でも節目は重要である。いつまでも延々と同じ旋律を繰り返していたのでは、曲としては面白くない。例外としてはラヴェルの「ボレロ」が有るが、この曲は同じ旋律でも次々と演奏する楽器が変わっていくので、一つ一つの楽器で節目は完結しているのだと思う。これはこれで飽きることはない。どうしても最後まで聴きたくなってしまうのである・・・。


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