Diary 2013. 5
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5月31日 (金)  

「禍福は糾える縄の如し」という諺がある。更に「塞翁が馬」の例もある。然るに私は一喜一憂の毎日を過ごしていると思う。今は災禍の時であっても、過去には至福の時も有った筈である。その時は有頂天になっていて、やがてどん底に陥るとは予期もしていなかった。悪い時期があるから良い時期が有るのであって、常に悪かったり常に良かったりはしないものである。もしも生まれてから今日までずっと良いことばかりが続いていたならば、やがて大きな不幸が訪れることは間違いが無い。場合によっては死に至る様な、大不幸が待ち構えているのかも知れない。それを考えると適度に不幸で、適度に幸福であることが望ましい。フジコさんは過去に於いて、大きな大きな絶望の時を積み重ねて来られた。今は世界的なピアニストとして活躍をされているが、それは過去に災禍が集約されていたからだと思う。フジコさんご自身は昔も今も、まったく同じ生き方で過ごされているのだと思う。何が変わったのか・・・。それは糾える縄の如くに、裏と表とが入れ代わったに過ぎない。私自身はこれから良い事が起きても、次に訪れる悪いことを予期して、あまり有頂天にならないように心掛けたいものである。


5月30日 (木)  

今朝は弱い雨が降っていて風も強かったので、早朝の散歩に行くべきかどうかで少し躊躇った。昨年の今頃の同じような天候の日に、傘をさして長時間歩いた結果として風邪をひいてしまったからである。それでも朝の新鮮な空気は無料で美味しいので、短時間だけの散歩をすることにして家を出た。雨の匂いを含んだ朝の新鮮な空気は格別である。吹きつける風も何だか心地良い。そして朝の紫陽花に出会って、今の季節を強く感じ取ることが出来た。紫陽花は本当に不思議な花である。花びらに見えるのは萼(がく)だと言うし、一生を終える間に様々な色に変化をする。最初は黄緑色で生まれ、土壌の成分によって青になったり紅になったり、そうして最後には劣化をして今までとは違う色になる。紫陽花は芸術家である。球状に装飾花が集まって、賑やかにお喋りをしているようである。雨と共に歌う合唱団のようにも見える。紫陽花には少しの雨と少しの風が良く似合う。明日の朝もまた紫陽花を見て、今の季節を感じたいものだと思う。


5月29日 (水)  

世の中に短いものは沢山あるが、短くて良いものと悪いものとが有る。閉口するのは「短気」な性格の人である。昔から「短気は損気」と言われているが、私の友人はこの上も無く短気な性格なのである。そのことは本人もよく自覚している筈なのだが、一寸した事で頭に血が上ってしまって前後不覚に陥ってしまうのである。自宅の前でスケボーを始めようとした若者を見て怒鳴りつけた。そしてその後で、奴らに何か嫌がらせをされたらどうしようか・・・と怖くなって私に電話で相談をして来るのである。相談されたってどうしようもない。ところで彼のパソコンの動作がおかしくなったらしい。ソフトで指定されたように正しく操作をしても、おかしな反応をするという。それで頭に血が上ってしまい。私に電話をかけて来た。彼はパソコンに関する知識は殆ど持ち合わせていない。その彼に説明をするのは、外国語で彼に話しかけているように聞こえるらしい。そして頭に来て私を罵倒し始めた。「そんな説明じゃ俺に分からないじゃないか!もっと分かるように説明をしろ!」と電話口で怒鳴りまくっている。そのうち「もういい!頭に来たから電話を切る!」と言い出した。そのとき不思議なことに、私はちっとも腹が立たなかった。ただ彼のパソコンが誤作動をする原因を調べたかったのである。彼自身は短気なので、サポートセンターに電話をすることが出来ない。サポートセンターには電話がなかなか繋がらないのである。私が電話をしてみると30分ほど「しばらくお待ちください。」のアナウンスが流れて、ようやくオペレーターに繋がった。彼の状況を説明すると「有り得ない話」だと言う。実はサポートセンターに電話をかける前に、私も彼にそう言ったのである。手順通りに操作をしたら、まったく違う結果が出るのは何故なのか・・・。サポートセンターの方と話し合った結果、原因として考えられることが浮かんできた。それは「一時ファイルの削除」である。彼は2年前にパソコンを購入して以来、一度も「一時ファイの削除」を実行していない筈である。インターネットエクスプローラーのメニューからツール⇒インターネットオプション⇒一時ファイル等の削除を実行するのである。実は私もずっと以前に、同様の問題に直面したことが有る。その際に「一時ファイルの削除」を実行することで、問題は解決したのである。2年間も「一時ファイルの削除」を実行していないと、一時ファイルが大きすぎて誤作動を生じることがあるという。そのことを電話で彼に伝えたが、言っていることが理解できないから、彼の家に行って「一時ファイルの削除」をして欲しいと言う。そして彼は落ち着いた声で「ありがとう。」と言ったのである。私は感情に振り回されてしまう彼が気の毒でならない。近いうちに彼の自宅に行って「一時ファイルの削除」を教えに行く積りである。彼が困っているときに助けるのが、本当の友人なのだと思うからである。

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5月28日 (火)  

彼と出会ったのは、今から30年以上も前のことである。彼はいつも読書をしているが、時には違う本が彼の膝の上に置かれていることもあった。北風が吹く寒い冬には、首にマフラーをまいて本を読み続けていた。彼はお洒落な好青年である。30年が経っても、彼は永遠の読書家なのである。それにしても誰が彼に服を着せたり、マフラーをまいたり、新しい本を置いたりしているのだろうか。近所の子供の悪戯なのだろうか。それにしては冬のマフラーもお洒落だったし、今日の装いも素敵である。彼に恋をしてしまった彼女が居るのだろうか。それにしても日本人はどうして薄暗いグレーの服を着たがるのだろうか。、フジコさんは日本人のお洒落感覚が分からない・・・と仰っていたように思う。確かに駅前の雑踏を見渡すと、地味で目立たないような服装をしている人が多い。ちょっとお洒落な自分を想像してみる。お洒落は恥ずかしいことなのだろうか。これから暑くなるけど、彼はどんな装いに変わるのだろうか。

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5月27日 (月)  

今日は母が定期通院をしている大学病院に行って来た。病院の待合室は、未来の自分の姿で溢れていた。車椅子と杖は、高齢者の身体の一部となっている。家族が同伴している高齢者もいれば、孤軍奮闘のお年寄りもいる。ところで「お元気そうですね。」と人から言われることが多くなった。それと同じように、自分も人に「お元気そうですね。」と声をかけてしまうことがある。それは自分よりも年長の先輩に対して挨拶をする時である。つまり自分が思っているよりも元気そうに見える・・・と言うことは、高齢になれば身体が弱って元気が無くなる筈だ・・・という思い込みから出る言葉なのだと思う。もちろんお互いに悪意などは無くて、思ったままの感情を素直に表現しただけの事なのである。今のところ電車に乗っていて、席を譲られた経験はまだ無い。一度だけ有るとすれば、母をフジコさんのコンサートに連れて行った時の、帰りの満員電車の中である。時間は夜の9時を過ぎていた。シルバーシートで酔って居眠りをしていた40代くらいの男性が、母の姿を見ると驚いて座席を立ち上がった。「失礼しました。どうぞお座りください。旦那さんもどうぞ・・・。」と言われた時である。幾ら酔って眠っていたからといって、私を母の連れ合いと判断するのはあんまりである。しかしそう言っていられるのも今のうちなのかも知れない。年長の方に挨拶をする時は、「お元気そうですね。」と言うのは差し控えたいと思う。ところでフジコさんに限っては「お元気そうですね。」と言う言葉は意味が無い。私よりもよっぽどエネルギーに満ち溢れているからである。元気が一番であることに異論は無い。病気にならない為に、これからも毎朝の散歩を続けたいと思う。


5月26日 (日)  

他者の喜びを他者よりも喜び、他者の苦境を他者よりも悲しむ。これは私には考えられない事であって、私の場合は他者の喜びを悲しみ、他者の苦境を喜ぶ傾向にあると思う。「それは良かったですね。」と言葉に出して言う時には、本心からそのように思って言っているのだろうか。多くの場合は社交辞令としての挨拶なのであって、本心では他者の喜びが我が身の上に起きなかったことを悲しむのである。「それは残念でしたね。」と言う時には、他者の苦境が我が身に生じなかったことを喜ぶのである。ところが私の身近に「他者の喜びを他者よりも喜び、他者の苦境を他者よりも悲しむ」人が居たのである。それは私の母である。母は私がフジコさんのコンサートに行った事を知って、私以上に喜んだのである。「コンサートに行けて良かったぁ。」と何度も何度も言うのである。昨日から10回近くも繰り返して喜んでいる。コンサートに行ったのは私なのであって、母が行った分けではない。顔に満面の笑みを浮かべて「良かった・・・良かった。」と繰り返している。その喜び様は私以上のものがあると思えた。反対に他者が苦境に陥っていることを知ると、何とかしてあげたいと苦しむのである。「困った・・・困った。」と何度も何度も繰り返して悲しんでいる。私の母は昔からそういう人なのである。もう何年も前に、私は母をフジコさんのコンサートに連れて行ったことがある。それは昭和女子大学「人見記念講堂」でのコンサートであった。それから何年かが過ぎて、母は心筋梗塞を起こして救急車で運ばれた。家人が不在のときに、自分自身で119に電話をかけたのである。すぐに救急車が来て、病院のスタッフの迅速な処理で命を救われたのだ。入院生活のときに私はフジコさんが表紙になった「アエラ」を母の病室に持って行った。その記事を読んで、母は元気を取り戻したのだと思う。今ではすっかり回復をして、病室の机に置かれていた「アエラ」は、母にとっては大切な宝物となっている。そのような母から産まれた私が、母と違っているのはどうしてなのだろうか。今からでも遅くないから、母のように「他者の喜びを他者よりも喜び、他者の苦境を他者よりも悲しむ」境地に至りたいものだと思う。


5月25日 (土)  

今日はフジコさんのコンサートに行ったが、会場に集う人の心は一つであることを強く感じた。当然といえば当然なのであるが、フジコさんの演奏を聴く為に、遥かな遠方から足を運ぶファンの方も多い。フジコさんの演奏会が珍しかった初期の頃には、話題になっているピアニストの品定めに来たかと思えるクラシック・ファンの方も多かったように思う。フジコさんの演奏に対する色々な批評を耳にしたが、最近のコンサートではそのようなことは無い。フジコさんの音色が確立したのは事実である。私には良く分からないが、他のピアニストの演奏会には、どれだけ多くのファンが足を運ぶのだろうか。人の好き好きといえばそれまでだが、フジコさんの演奏に魅入られた人の気持ちは一つである。同じ価値観と同じ感動を共有しているのである。フジコさんの音色を感じられる人々が、もっともっと増え続けることを願う。


5月24日 (金)  

史上最高齢で世界最高峰のエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎さんのニュース報道に接して、私は大変に感銘を受けると同時に、同じように世界最高峰の頂に挑み続ける、あるピアニストの存在に思いを馳せた。フジコさんが日々の鍛錬で挑んでいるのは、芸術における最高峰の頂である。お二人に共通しているのは、日々弛まぬ努力の継続と積み重ねである。三浦雄一郎さんがこの日を迎えるのに、日本でどれだけの準備を重ねて来られたのかを、ニュース番組で詳しく紹介をしていた。フジコさんの場合もまったく同じである。もう駄目だという限界まで全力を尽くして演奏をされている姿を、私はこれまでに何度も目撃をしている。昼夜公演では昼の演奏を終えた直後に「腕が折れるかと思った・・・」と仰っていたのを聞いたことがある。その後の夜の公演では更に素晴らしい演奏をされたそうである。エベレストは実在する山であるが、フジコさんが目指すエベレストの頂は、ご自身の中にあるから登頂に成功する日は来ないと思う。もしも登頂に成功したら、アーティストはそこで終わってしまうからである。フジコさんはご自身のエベレストの頂を目指して、これからも永遠に登り続けることになるのだろう。それが芸術家の宿命であるならば・・・。


5月23日 (木)  

自分に都合の悪い出来事が起きてしまったときに、冷静に現実を受け止めることはなかなか難しい。あの小公女セーラは、その点に於いて極めて優秀であった。今日からはお嬢様ではなくて、学校の雇われ人として下働きの毎日を過ごすことになった。その反対に「下がれ!無礼者!私を誰だと思っておるのじゃ!私は姫君なるぞ!」と叫んだのは、戦国時代に戦に敗れた城主のお姫様であったそうな。驕る平家は久しからず・・・とは良く言ったものである。「負け犬の遠吠え」という言葉がある。負けたときには負けを認めて現実として捉えて、冷静に自分の立場を考えるべきである。今朝のラジオでサトウハチローさんの詩を聞いた。今は忘れていたけれど、サトウハチローさんのあまりにも素晴らしい詩を、もう一度しっかりと確認したいと思う。


5月22日 (水)  

夜の食事の時間だというのに、母は机の下に潜って、はいつくばって必死に何かを探していた。探している物は食事よりもずっと大切な、何か特別な物なのだろうかと気になって尋ねてみた。すると「トランプの札を一枚落とした。」と言う。確かに一枚を下に落としたのだが、幾ら探しても見つからないのだ・・・と言う。先日も似たような事が有ったので、母がトイレに行った間にトランプを数えてみた。エースからキングまで4種類の全ての札が52枚揃っている。井上陽水の「夢の中へ」の歌詞を思い出す。探し物は何ですか?見つけにくいものですか?はいつくばって、いったい何を探しているのか?母はまだまだ探す気でいた。でもトランプは52枚が揃っているのだから、机の下からはもう絶対に見つからない。母はあまりにも高齢なのであった。しかしこれと同じような事を、私は日常生活で繰り返していないだろうか?この世界に有りもしないものを求めて、あちらこちらを探したりしてはいないだろうか?幸せを探し求めて、そして不幸と出会ってしまったこともある。あなたの探し物は何ですか?


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