Diary 2013. 6
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6月30日 (日)  

今の世はデジタル化時代である。デジカメで撮影した画像はSDカードに保存されるが、SDカードのデーターは、やがて破壊されて消滅するときが来るのである。SDカードやUSBメモリーは一時的な保存が出来る媒体なのであって、内部では電荷の破壊が徐々に進行をしている。データーが入っているSDカードをそのまま保存し続けると、ある日突然にアクセスが出来なくなる宿命なのである。書き込み回数も有限なので、およそ100万回の書き込みでカードが壊れるという。それを防ぐにはカードに一時保存しているデーターを、ハードディスクや光学ディスクに移す作業が必要である。ハードディスクも光学ディスクも永久保存は出来ないので、定期的に移し直す作業が必要である。現像したアナログ写真は色が薄くなっても何とか残っているが、デジタル媒体に保存した写真は消滅するのである。データーが読み込めなくなれば、事実上は消滅したのと同じ結果である。撮影してから5年以上が経過したSDカード内の画像は、ある日突然に読み込めなくなる可能性が高い。子供や孫の成長記録が消滅する前に、光学ディスクに移し替えたりアナログ写真にプリントアウトをするべきである。読めなくなったデータを専門業者に依頼して復旧させるには、気が遠くなるほどの高額な費用が発生することだろう。SDカードは一時的な保存媒体であることを、デジカメ利用者は理解しているのだろうか。子供が成長した10年後にSDカードを取り出してみてみも「フォーマットしますか?」というメッセージが出るだけなのである。デジタル保存は消滅する宿命なのである。SDカードはデーターを光学ディスク等に移し替えたら、再びフォーマットをすることで再利用が可能となる。SDカードは「永久保証」とか「10年保証」とか表示されて販売されても、内部のデーター保存は保証されない。フォーマットをし直せば、再利用が可能となることを述べているのだと理解するべきなのである。


6月29日 (土)  

一番大切なのは優しさだと思う。人に対して優しいのは勿論であるが、物に対しても優しさは必要である。例えば新しいパソコンを買ったときに、取扱説明書が紙切れ一枚だったらどうなのだろうか。私は今までA社のパソコンを購入して来たので、取扱説明書等は無いのが当然だと思っていた。不具合が生じたときには手探りで対応して来たが、取扱説明書があれば随分と違ったろうと思う。買い替えるノートパソコンもA社の製品にしようと思っていたが、途中で気が変わってL社の製品を選択した。既に発注を済ませたので製品が届くのを待つばかりなのだが、L社の製品には取扱説明書が付属していることを知った。ネットで閲覧してみると、製品の分解方法まで記載されている。メモリーの増設やHDDの交換方法も記載されていて、CMOS電池の交換も可能なようである。A社のパソコンはネジ部分にシールが貼られていて、シールをはがしてケースを開けたら保証の対象外になる。一方でL社はネジの場所まで図解していて、大変に分かりやすい。これはサポートセンターに問い合わせが多い内容を、図解して説明しているのかも知れない。自己責任で分解や改造をすることになるが、使う人の立場を考えていると思う。結局のところ、ノートパソコンのOSは「Windows 8」を選択した。自分が使う予定のソフトが対応しているのを確認したからである。2020年までには次のOSが発売されるだろう。もしかしたら次は「Windows」という名称が無くなるかも知れない。2020年になる前にどのような変化が訪れるのかは知らないが、「Windows 7」のサポートが終了するのは確かだと思う。


6月28日 (金)  

未来がどうなるのか分からないが、2020年1月14日をもって「Windows 7」はサポート期間が終了する。2023年1月10日で「Windows 8」のサポート期間が終了する。例えパソコンが壊れていなくても、OSのサポート期間が終了すれば使用を継続することは出来ない。「Windows XP」は2014年4月8日がサポート期限である。大手の会社では「Windows XP」のパソコンが使われているが、他のOSに総入れ替えをしなくてはならない。6年半も先のことではあるが、「Windows 7」が使えなくなるのは事実である。今後はクラウドを利用してデーターを保存するのが望ましいが、それもどうなのだろうか・・・。手元のノートパソコンは「Windows XP」であるから、「Windows 7」か「Windows 8」に買い換える必要がある。「windows 8」では動作しないソフトもあるので、「Windows 7」に変更した方が無難である。サポート期間が3年違うだけだから、無理をして「Windows 8」を導入しても使い辛いだけだと思う。「Windows 8」が本当に使い辛いかどうかを、実際に試してみても、結果が悪ければ悲惨である。古い携帯電話のUSBドライバは「Windows 8」に対応していない。問題は私自身のサポート期間が、いつ終了するのかを知らないことである。そして新しくパソコンを購入しても、2020年まで故障しないで使えるのかどうかも分からない。既に5年を経過している古いパソコンは、どうなってしまうのだろうか。昨年購入したパソコンも2020年まで持つのだろうか・・・。2020年はずっと先のように思えるが、段々と近づいているのは確かである。どうしたら良いのか憂慮している。これは杞憂なのであろうか。


6月27日 (木)  

まことに一寸先は闇なのであった。暗闇(くらやみ)の中では光が無いから視覚は役に立たず、聴覚によって何かを得ようとしても無理なのである。一歩足を踏み出せば、そこは奈落の底に通じているかも知れない。一寸先は闇なのに、この先を自分に都合の良いように予測してしまう。かといって毎日が最悪の事態に陥る分けでもない。自分が思ったように物事が進まないときに、一寸先は闇であることを思い知るのみである。昨日は過ぎ去ったし、明日はまだ来ていない。一寸先が闇であることを自覚していれば、何が起きてもおかしくは無い。明日は何が起きるのか誰も知らない。明日もまた期待と失望に満ちた一日を迎えるだろう。手探りをしながら一歩ずつ、慎重に前進するのみである。


6月26日 (水)  

24時間風呂は5月末日をもって、20年間の運転を停止して終焉を迎えた。そして保温機能が無い「風呂水浄水器」を設置したのだが、保温機能が無いので湯の温度がすぐに低くなって冷めてしまうのは当然の結果なのであった。それにしても湯がすぐに冷めすぎるので不審に思っていたが、その理由は風呂釜の逆流なのであった。二つ穴の自然循環式風呂釜は下の穴から冷たい水が釜に入り、火力で温められて上の穴から湯が出てくる仕組みになっている。風呂釜の火を消すと、上の穴から湯が入って冷えた風呂釜の中を通って下の穴から冷たい水が出て来ることになる。風呂釜が放熱器になっているのである。その結果、翌朝になると浴槽の下に冷たい部分が溜まり、上と下で温度差が生じるばかりか全体として湯が冷めてしまうのである。これを防ぐには、火を消したら下の穴を塞ぐのが有効である。2000年に「○ろッキー」というアイディア商品が発売された。これは装置の浮遊弁が移動して風呂の火が着いたときは「開」となり、風呂の火が消されると弁が移動して「閉」となる優れものである。取り付けには下の穴の突起を削るか、本体を加工する必要がある。完全に取り付けるには下の穴の突起を削るのが最善なので、ヤスリで削って取り付けた。効果は抜群である。前日の夜に沸かした風呂の湯が、翌朝になってもそれほど冷めていない。そのままの温度でも入浴可能であるが、追い炊きをしたとしても、時間は従来の半分以下で済む。当然ながら浴槽の上と下の温度差が無くなっている。これで長時間適温を保つことが可能となった。世の中には便利な商品があったもので、少し感動してしまった。


6月25日 (火)  

年老いた葵が白い花を二つだけ咲かせて、道端に立っておりました。その横には若い葵が鮮やかなピンクの花を一杯咲かせて立っていて、誇らしげに年老いた葵に話しかけました。「私は元気だからこんなに沢山の花を咲かせることが出来るのよ。お爺さんもまだ蕾があるようだから、頑張って全部咲かせてみたらどうなの?」と。白い花を二つ咲かせた年老いた葵は、花の首を横に振りました。「わしは今までに沢山の仲間を見送って来たが、少しずつ咲かせるのが長生きの秘訣なんじゃよ。」と若い葵に教えました。「だって紫陽花さんだって、あんなに一杯花を咲かせているじゃない。私は蕾を全部咲かせて、皆に見てもらいたいのよ。」と言って、残っていた蕾も全部開かせてしまいました。その夜は台風になり、雨と風が強く葵に襲い掛かりました。朝になると鮮やかなピンクの花を沢山咲かせていた若い葵は、風と雨を全部の花で受けてしまったので、根元から折れて息が絶えていました。白い花を二つだけ咲かせた年老いた葵は、嘆きながら呟きました。(一度に花を咲かせたら強い雨と風に耐えられないから、蕾は少しずつ順番に開かせることが大事だったのに・・・)と。順番に少しずつ花を開かせるのが、長生きの秘訣なのでした。


6月24日 (月)  

5年前に購入したパソコンの不具合は、内臓電池の交換によってトラブルの回避が出来た。今になって考えてみると、起動しなくなる前に兆候が現れていたのである。先週から起動直後にBIOSの設定画面が表示されるようになっていた。画面の指示に従ってファンクションキーのF1を押すと、いつもと同じようにOSが起動した。手間が一つ増えたので面倒に感じたが、F1キーを押すだけなので、まぁいいか・・・と思ったのである。これが不具合発生の前兆であることには気付かなかった。表示された英文を読んでみると「CMOS checksum error」という部分があったので、異変に気付いたのである。事前に兆候があっても、それに気付かないと最悪の事態に陥るのである。実際にパソコンが起動しなくなってから、慌てて狼狽する始末なのである。パソコンはSOSを発していたのに、古いパソコンだから変な動作をしても仕方が無い・・・と思い込んでしまった。変な画面が現れても変だと思わなかったところが変なのであるが、変な理由を追求しないと、大変なことになる。最初の変は小さな変だから「小変」であるが、そのまま放置すると「中変」を経て「大変」に至る。異変に気が付かないのは愚かであるが、事前に分かっていても無体策であれば、同じように大変な結果を得る。2014年4月に「Windows XP」のサポートが終了することは分かっている。来年の4月を過ぎても「Windows XP」を使い続けると、XPの虚弱性を攻撃される事態となる。この件については、今から対策を講じなければならない。具体的にはXPのパソコンをWindows 7に変更するか、本体の性能的にWindows 7にアップグレードすることが無理ならば、XPパソコンを廃棄するかを決めなければならない。私のXPは10年以上も前の製品だから、スペック的にWindows 7に変えることが出来ないので、廃棄処分にする積りである。


6月23日 (日)  

昨日はPCトラブルに翻弄されたが、色々と調べているうちに思い当たることがあった。デスクトップパソコンの場合には、BIOSのCMOSを保存する為にボタン電池が内蔵されている。電池であるから何れは電圧が低下して役に立たなくなる。所謂バッテリー切れである。車で例えればエンジンがかからなくなった状態である。内蔵されているボタン電池がバッテリー切れになるのは、およそ5年を経過した頃であるという。起動しなくなったパソコンはそれに該当すると思われた。電池が無くなる直前には、2ボルト〜3ボルトの間を不安定にうろつくのである。だから10回トライして1回は起動することもあり得る。今朝は一大決心をしてパソコンを分解した。マザーボードにお馴染みの「CR2032」が実装されているのを発見したので、所持していた2個入りで100円の「CR2032」と交換をした。1個あたりの単価は50円である。内部は埃だらけだったので掃除機で清掃をしながら、新品のボタン電池に交換をした。因みに新しいボタン電池の利用期限は2017年5月と表示されている。その頃になると同様の症状を呈するのだろうが、私が2017年まで存在しているかどうかは不明である。配線を元のように接続して電源ボタンを押すと、「ピッ!」と大きな音がしてパソコンは起動した。昨日の音とは比較にならないほど元気な「ピッ!」である。そういえば昨日の状態では小さい小さい音であった。音を聞いただけでも、電池の状態が分かるかもしれない。電源ボタンを押しただけではパソコンは起動しない。電源ボタンが押されたら、最初にBIOSが起動されるのだが、BIOSはCMOSが読み込めないと起動が出来ないのである。それで問題がなければシステムが起動することになる。「ピッ」という音を鳴らしているのは、BIOSそのものなのである。昨年購入したパソコンも、4年後には同じ様に内部電池がバッテリー切れになる筈である。修理専門店に依頼をしたら、50円では済まないのは明白である。もう寿命だから・・・と諦めて買い替えをする前に、内蔵電池を新しいものに交換して試してみる価値は有ると思う。但しノートパソコンの場合は「CR2032」ではなくて、特殊な電池が用いられているので、自分で交換することは出来ない。電池がもっと簡単に、リモコンの電池交換と同じレベルで交換が出来たら良いと思うが、それではパソコンの製造メーカーに都合が悪いのかもしれない。5年後には新しい機種に買い替えをする前提で、パソコンは設計されているような気がする。


6月22日 (土)  

今日は突然のパソコントラブル発生に苦慮することを余儀なくされてしまった。今回トラブルが発生したのは、5年前に購入したデスクトップPCである。通常はPCの電源ボタンを押すと、少し間があって「ピッ」という短いビープ音が1回だけ鳴る。これは起動時にBIOSやシステムチェックをして、何も問題が無ければ目出度く起動することになる。今日は電源ボタンを押しても「ピッ」という音が鳴らず、モニター画面には何も表示されない。画面に何かが表示されれば、そこから不具合の手がかりを得ることが可能なのであるが、画面に何も表示されない場合にはお手上げとなる。問題はこの古いPCで「フジコ・ヘミングを語るファンのホーム」のページを作成しているという事実である。つまり、このPCが起動しなければHPの更新が出来なくなるから、そのままHPの出口に向かう結果になるかも知れない。10回ほど試したら、「ピッ」という音がして起動したので、ホームページのフォルダを外付けハードディスクにコピーして保存をした。本来はHPを更新する度にバックアップ作業が必要なのであるが、それを怠るのが愚者の常なのであった。本体の内蔵ハードディスクが壊れることは想定しているので、時々は内臓ハードディスクのバックアップを実施している。然しながら本体のシステムボード等の故障による不具合に対しては、データー復旧も出来ないのである。現在の環境では外付けハードディスクを別のPCに接続して、HPの更新を続けることも可能であるが、それは手間がかかる作業である。やはり5年経過がPCの限界点なのかも知れない。5年を過ぎると、いつPC本体のシステムボードに不具合が生じてもおかしくないという。短い場合なら2〜3年で壊れるだろう。PCは完全に駄目になる前に、多少の兆候が現れるのが常である。今回のように10回トライして1回だけ起動に成功してみても、問題が解決したとは言えない。パソコンの電源ボタンを押して「ピッ」という音がするのが、どれほど有り難い事なのかを実感した一日であった。今は10回に1回起動しても、そのうちに100回トライしても起動しなくなると考えるのが妥当だと思う。場合によってはそのままHPが出口に直結するかも知れないので、そのときは悪しからずよろしくお願いします。


6月21日 (金)  

人に信用されることが、これほど重荷に感じられるとは思わなかった。彼は非常に疑り深い人間である。その彼が私には胸襟を開いていて、常に色々なことを相談して来るのである。私自身は自分に出来る限りの力で彼の相談に乗ったり、体調の事や悩み事や愚痴を聞いて来たのである。互いに信頼関係が築けていなければ、相手を信用することは出来ない。彼は私を全面的に信用して、ある案件を依頼して来た。今までは口頭だけの信頼関係であったが、今回は物理的な取引を委託されたのである。私に悪意があれば、彼に損害を与える結果を招くことも可能である。逆の立場を考えると、私が彼に同じことを頼めるかどうかは疑問である。相手を信じることと、相手から信じられることは同じではないと思う。人を騙すよりも騙されるほうが気楽だと言うが、実際に騙されたのであれば恨みは骨髄に至るのではないだろうか。彼が私を疑っていれば、私はむしろ気楽だったろうと思う。私は彼が言った言葉を重く受け止めている。「信用しているから。」・・・。彼は私の何を信用しているのかが良く分からない。あれだけ疑り深い人に信用されることは、きっと喜ぶべきことなのだろう。今度も私は自分が出せる限りの力で、彼の期待に応えようと思う。彼は私を信用して期待をしているのである。期待をされる人間は、何も期待されない人間よりも存在価値は高いのだろう。まぁ、期待して良い結果が出るのを待っていて下さい。私自身は何も失わないのだから。


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