Diary 2013. 8
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8月31日 (土)  

同じ歌手の公演にここ数年は続けて通ったことになる。24歳でデビューをしてから40周年を迎えているが、彼女の声の伸びと艶はまったく衰えていない。それどころかここ数年は更に声量が増していると思われた。フジコさんのピアノの練習量は凄まじいものがあると思っているが、この歌手もまた凄まじい努力を続けていることは間違いが無いと思われる。毎年、自嘲気味に年齢のことを話題にしているが、アーティストにとって暦を重ねることは、芸が輝きを増すことに繋がると思う。一流が一流であり続ける為には、それ以上の必死の努力が重ねられていることだろう。夏場のこともあり、曲と曲の間には水分を補給していたようだが、そのような地道な配慮が今日まで彼女を「一流」として継続を成し得た源なのだと思う。


8月30日 (金)  

今日は友人とコンサートに行って来た。友人とは会場がある駅の改札口で待ち合わせていたのだが、改札口で会ってみるといつもと血相が違っていた。彼は新聞記事の切れ端を私に見せた。彼の話によると、ここ2〜3日の間に昔の友人と連絡を取る必要が生じて電話をしようと思っていたそうである。電車の中で新聞を読んでいたら、ある記事が目に入った。最初は読み飛ばしていたが、気になってよく読んでみると、それは彼が連絡を取ろうとしていた友人の娘さんの記事だったと言う。「父は3年前に他界しまして・・・」と記事に書かれていたという。既にこの世にはいない人に電話をかけようとしていた矢先に、この記事が目に入ったのである。偶然といえば偶然だが、3年も前に他界した人の娘さんの記事が目に入る確率は、通常であれば極めて低いと思われる。虫の知らせにしては遅すぎたが、彼は相当にショックを受けたらしい。この世の中には不思議なことが起きる。友人の死を知らせる記事が目に入ったのも、何かの因縁なのだろうか。


8月29日 (木)  

とても明るい笑顔と巧みな話術を備えてテレビで活躍している女性アナウンサーに、私は特別な気配を感じた。彼女の笑顔や話術が、私に「何か」を語りかけて来たのである。彼女は「町亞聖」というフリーアナウンサーである。以前は日本テレビの女子アナウンサーとして朝の番組に出演されていたが、それからしばらくはテレビの画面から離れていたと思う。彼女が著した「十年介護」を読んで「何か」の謎が解けたと思った。今まで色々な本を読んだが、この「十年介護」には心を打たれた。嘘偽りの無い彼女の真情を吐露している。40歳でくも膜下出血で倒れた母は、その後に子宮頸がんの末期であることが判明した。日本テレビの社員として勤めながら十八歳から介護を続けること十年。母は50歳の誕生日を前にして天に召され、そして父もまた胃がんで失うが、弟や妹と三人で介護を続けた記録である。さり気無く書かれているが、介護や福祉の本質が、彼女の体験によって私たちに強く伝わって来ると思う。私はこの本が一人でも多くの方に読まれることを願う。これからの町亞聖さんの活躍に期待をしているし、彼女の生き方に心から感銘を受けたのである。発行:2013年5月13日 小学館文庫


8月28日 (水)  

今日で虫歯の治療が終わった。右の糸切り歯に痛みを感じたのでいつもの歯科医院にいったところ、以前に小さな虫歯だった部分に小さな詰め物をしていたが、その詰め物に神経が触っているとの診断であった。「これは神経を抜くしかない。」とのことで、神経を抜いたら炎症を起こしてしまった。やっと炎症が治まって詰め物をして終了の運びとなった。ところでこの詰め物は何だろうと思って調べてみたが、どうやら「レジン」という材料らしい。健康保険の範囲で治療して貰ったので、セラミックや銀は使われていない。レジンは劣化しやすいらしいが、手入れ次第では長く持つかもしれないという。たまたまテレビで歯の磨き方を説明している番組を観た。大事なのは朝と晩の丁寧な歯磨きだそうである。朝は時間が無くて手抜きになりやすいから、就寝前に時間をかけて磨くと良いそうである。昼間は口の中に唾液が十分あるので、虫歯対策としての歯磨きはあまり重要ではないらしい。問題は就寝中に唾液が出なくなったとき、虫歯菌が大活躍をすることで歯周病になるらしい。口は食べ物の取り入れ口である。十分に咀嚼するために健康な歯と歯茎が必要である。もっと口の中を大事にしないと駄目である。就寝前の丁寧な歯磨きを実施しようと思う。ポイントは力を入れずに軽く磨くことらしい。


8月27日 (火)  

春は冬から夏への橋渡しで、秋は夏から冬への橋渡しの季節である。暖かい春の風も心地良いが、涼しい秋の風もまた格別である。どちらも真冬と真夏の極限を経てこその良い風である。エアコンを使わずに、扇風機の風で十分に涼しければもう秋は近い。気温が41度を記録した日の翌日は、38度の気温でも涼しく感じられた。要するに酷い目に合わなければ、有難さがわからないのである。それにしてもこの夏は暑かった。来年は更に最高気温が更新されるのだろうか。今は涼しいと思う風が寒く感じるようになると、同じ風が憎らしくなるのである。冬の北風は最大の敵である。そして早く春風が吹かないものかと願う。風は適度の強さで吹くのが望ましい。秋は台風の季節である。


8月26日 (月)  

私は歩きながらラジオを聴いているが、あるラジオ局の女子アナウンサーの話が印象的だった。仕事の都合で帰りが遅くなったときに、母親に車で迎えに来て貰うことがあった。自宅に到着した際に彼女は無言で車を降りたのだが、カーナビから音声が流れた。「今日も安全運転、おつかれさまでした。」と喋ったのである。すると母親は「お陰さまで無事に着きました。どうもありがとうございました。」とカーナビに頭を下げたそうである。女子アナウンサーはその瞬間に顔が赤くなったそうである。自分の母親だから助手席に乗せて貰うのは当たり前だし、特別にお礼を言う気も無かったそうである。言葉を職業にしている女子アナウンサーが、母親に感謝の一言も言えなかったことを恥じたそうである。彼女の母親は自然に挨拶が出たようで、相手が機械のカーナビであろうと挨拶の一言にお礼を述べたのである。これは見習うべきことだと思う。自分が車を運転して自宅に戻ったときに、車に対して「今日も安全に家まで運んでくれてありがとう。」と感謝の気持ちが述べられたら、その気持ちが安全運転に繋がると思う。機械にお礼が言えたなら、人間に対してもお礼が言えるようになることだろう。


8月25日 (日)  

今夜寝て明日起きたなら、その日は明日ではなくて「今日」になっている。だから明日は永遠に来ないし、昨日は今日の軌跡でしかない。一応の目安として昨日・今日・明日と分けているが、中身は今日の連続である。今日出来ないことが、明日になったら出来るようになるとは限らない。昨日出来なかったことが今日も出来なかったように・・・。自分だけは健康を維持することが出来て、病気にならないというわけにも行かず、いつかは病に伏せる時が来るだろう。いつまでも あると思うな この命。


8月24日 (土)  

目には見えないけれど、自分の傍には常に種々雑多な霊が浮遊していると仮定する。「嫌だ」「辛い」「疲れた」と言えば、それらを好む霊が集まって来て、それに見合う現象を起こすと言う。反対に「嬉しい」「楽しい」「ありがとう」と言えば、それらを好む霊が集まって来て、更に楽しい現象を起こすのだと言う。つまり不平不満愚痴ばかりを発していれば、それらを好む霊にとり憑かれて更に苦しみを味わうことになる。これが本当なのかどうかは、実験してみれば分かることである。朝になって「嫌な一日が始まる」と思えば一日が憂鬱であるし、「楽しい一日にしよう」と思えば楽しい出来事が待っている。もともと現象としては苦も楽も存在していないので、自分の感覚だけが苦楽を決めるのである。「今日は調子が良いぞ」と思えば調子は良いし、「今日は最悪だ」と思えば最悪なのである。全ては自分の感覚が決めることなのである。


8月23日 (金)  

宇宙には幸も不幸も存在していないという。色々な現象の中で、人間がどのように感じるかによって、幸福とか不幸な感情を抱くのである。今朝のNHKテレビに瀬戸内寂聴さんが出演されていて、幸福と不幸について話をされていた。自分だけの幸福を願っていては駄目で、そのような人に幸福は訪れないという。周りの人々の幸福を願うことによって、初めて自分が満ち足りた気持ちになれるのだという。元々不幸は幸福の反対の概念であるから、幸福を知るためには不幸の味を知らなければならない。病気で伏せるようになってから健康の大切さを知るが、時は既に遅く手遅れである。手遅れにならないと自分が幸福であることには気が付かないのが常である。自分が幸せになりたかったら、その前に他者の幸せを実現させなければならない。自分の幸せはその先にあるという。


8月22日 (木)  

「人生はドミノ倒しの如し」と述べた人がいた。最初の一個は誕生の時で、最後の一個は死ぬ時であるという。昨日の一個が倒れて今日の一個が倒れ、そして明日の一個を倒す。そして最後の一個まで倒れ続けるわけだが、最後まで辿りつかないで途中で止まることもあるだろう。いずれにしても過去があっての現在で、そして未来に続いている。最後の一個がどの辺りに位置しているか分からないが、随分と壮大なドミノ倒しである。


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