Diary 2013. 9
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9月30日 (月)  

今日で9月も終わるが、昨年の9月の備忘録と今年の9月とを見比べると1年があっという間に過ぎたことを実感する。明日からは10月だが、昨年の10月の備忘録を見れば今年も殆ど同じ様な日程になると思う。昨年の今頃は、近くのクリニックでインフルエンザの予防接種を申し込んでいる。だから今年も予防接種を申し込もうと思うが、予防接種を受けたからといって風邪をひかない分けではない。今日はアパート経営をしている友人から電話があって「資源ゴミは月曜日の朝8時までに出して下さい」と言う警告文書の作成を依頼された。こんなもの自分でワードを使って簡単に作成できるだろうと思うが、彼に「それが出来ないから頼んでいるんだ!」と言われてしまった。彼のノートパソコンは私が一緒に買いに行った。それ以来、彼からは何かと文書の作成を頼まれるのだが、今回は電話で伝えた言葉を文字にしてくれという依頼だから、私も少しどうかと思った。聞けば資源ゴミの回収車が来た後で、ゴミを出しに来る居住者がいるので困っているとのこと。早速、ワードで作成して添付ファイルで送信したら、ファイルの開き方とプリンターの使い方が分からないと言う。操作方法を電話で説明しながらプリントアウトさせた。私は何故、彼の依頼を引き受けたのか。それは彼が私に依頼をして来たからである。


9月29日 (日)  

食事と運動に気を付けて、糖尿病にだけはなりたくないと思っているのだが、そうして長命を保った所で一体何になるのだろうかと考えてみる。ある人の提案で「国立往生院」を設けて、65歳以上の中から志願者を募る。自ら棺桶の中に入って毒ガスを噴射して貰うのだと言う。そうすれば日本の高齢化社会が抱える諸問題は一気に解決するし、平均年齢がずっと若返るのである。このことを朝日新聞紙上で提案したら、読者から反響が大きかったそうである。提案者はさぞやお叱りの反撃が多かったろうと思いきや、意外にも「その通り」という「国立往生院」の設立に賛成する意見が多かったので驚いたそうである。賛成者の殆どが女性であったのは、男性よりも女性の平均寿命が高いことに関係しているらしい。65歳以上になると年齢の二乗に反比例して体力が衰えていくと考えられる。将来において「死」は必ず受け容れなければならない事実であるが、「老化」は現在進行形なのである。車を運転していて右後方の安全を確認しようとしたら、首筋が痛くてよく確認できなかった。これは危険である。長生きの目標が「長命」だけにあるのなら、あまり意味が無いような気がする。夏目漱石は臨終の間際に胸を開いて「ここに水をぶっかけてくれ。死ぬと困るから」と言ったそうである。執筆中であった『明暗』を完成させたいとの思いが強かったのだと思う。モーツァルトも『レクイエム』が未完のままこの世を去った。自分にはそれほどの理由が無いから、やはり国立往生院に行った方が良いのだろうか。


9月28日 (土)  

人は誰でも我が身にいつか「死」が訪れることを諦観しているが、「老」については同時進行なので忘れがちである。同時進行というのは、時間的にも身体の各部に於いても「同時」なのである。頭髪が白くなったり抜けたりする頃に、視力は老眼になり耳は聞こえが悪くなり、歯は抜け落ちていく。不思議なことに鼻については特に老化は意識されない。頚椎はヘルニアを生じて肩こりや腕や手の痺れが生じる。肺は肺炎や肺気腫等の石灰化が生じる他、内臓各部でも老化が進行しているのだが肉眼では確認ができない。皮膚には皺が生じて腰は椎間板ヘルニアになり、足は外反母趾となる。糖尿病になったり高血圧に苦しんだり、身体の各部が同時に機能低下を生じる。60代の肉体を持って70代になれるはずも無く、それぞれがその年代になって初めて実感するのが「衰え」なのだろう。同じ動作でもその年代によって負荷が違ってくる。路上の段差を超えられずに躓くようになる。これは自然からの警告なのだろう。「老」の次に来るものに意識を向ける必要が有る。


9月27日 (金)  

渡部昇一:著『東京裁判を裁判する』を読むと、そこには半沢直樹の世界が在った。日本が他国の民を無差別攻撃したのは大きな罪であるが、米国が日本の民を原子爆弾等で無差別攻撃したのはまったく罪にならないと裁判長は考えたようである。このことについて裁判長は「私は泥棒をしたかもしれないが、私が知っている別の人も同じ様に泥棒をしました」と抗弁することは出来ないと述べている。この場合、二人の泥棒は平行に並んだ関係である。然るに日本と米国は互いに泥棒をし合った当事者同士の関係なのだと言える。つまり日本は米国から100円を盗んだとする。その仕返しとして米国は日本から一千万円を奪ったという関係なのである。そもそも東京裁判は「裁判」として成立する要件を満たしていない。戦勝国が敗戦国を一方的にリンチにかけたのである。戦後の教科書は戦勝国に気に入られるように、「日本が一方的に悪かった」と記述されているが、必ずしも歴史の真実とは結びついていない。殆どが戦勝国の創作なのであって「南京大虐殺」を目撃した人はいないのに「30万人」とか「4万人」とか白髪三千丈的に語られていったと言う。実際に数えた人はいないと考えられる。著者は私たちが知る「東京裁判」は、戦勝国が捏造した事実無根の罪で無理矢理に裁判形式で行った報復処置であることを明らかにしたいと述べている。私自身は著者の主張の全てを肯定的に捉えるものではないが、私たちがまったく知らない「東京裁判」を見直す材料の一つになると思う。


9月26日 (木)  

人は誰でも「中身が見えない財布」を持って生まれて来る。中には「寿命」という財産が入っているのだが、財布の中にあとどれ程残っているのかを確認することは出来ない。お金に換算すれば10億円ぐらい持って生まれてくる赤子もいれば、1円しか持っていなかったり空の財布のままだったりする赤子もいる筈だ。そう考えると自分が今日まで生き永らえているのは、道端で3億円ぐらい拾ったことに相当するのだろう。そのように考えると、今までの人生は儲けものだったと思える。それであと幾ら財布の中に残っているのかは確認できないが、確認できたとしたら恐ろしいだけである。財布の中にあと10円しか残っていないことが判明したとして、どうすることも出来ないだろう。それでも毎日幾らかずつは消費していることは確かである。やがていつの日にか財布の中身が空になる。車に轢かれるのは嫌だし海に落ちるのも嫌である。銃殺されるのも嫌だし生きたまま解剖されるのも嫌である。自分に出来ることは適量の食事と運動に気をつけて、糖尿病から動脈硬化を生じないように用心する程度かも知れない。財布の中身が見えない以上は、致し方ないことである。


9月25日 (水)  

上坂冬子:著「生体解剖」には驚くべき内容が記述されていた。B29の搭乗員を生きたまま解剖し、その肝臓を取り出して薄く切り、照り焼きにして醤油をかけて食したとして多くの人が横浜裁判にかけられていたのである。結果として事件は捏造されたものであることが判明して、裁判では全員が無罪となった。最後の「生体解剖」が終了して5日を経過してから食したと言うだけでも到底不自然である。真夏の時期に肝臓を保存することは、当時の状況では不可能だし、自白意外に証拠が全く無かったのである。ところがGHQは断然それを真実として多くの人々をひっ捕らえたのである。それは「火の無いところに煙は立たない」という、周囲の疑心暗鬼による妄想から発せられた噂を根拠とした捏造事件であった。逆に言うと、そのようなことが過去に於いて実際に有ったのだと言う前提が存在する。ニューギニアでそのような事件が有ったと伝えているし、狂気の戦時下では何が起きてもおかしくなかったと言える。執拗な取調べに対して、英文で書かれた意味不明の文書に人々は署名をしてしまった。「署名すれば家に帰れる」と言われて書いた署名であるから、証拠としての能力は無い。68年前にこのような事件が有ったことを知っておくのは、現代に生きる日本人として必要だろうと思う。過去の歴史が有って今が有る。


9月24日 (火)  

今から68年前の1945年5月17日に九州大学医学部事件としての「生体解剖」が執刀された。これは大日本帝国海軍の戦闘機「紫電改」を操る19歳の戦闘員がB29に体当たりをして墜落させ、パラシュートで降りてきた搭乗員の米兵11人を捕獲したことから始まる。村民に捉えられて棒で滅多打ちにされたが、この段階では捕獲されただけなので「捕虜」とは呼べない。軍部は搭乗員たちを九州大学医学部がモルモットとして「実験手術」または「研究手術」に用いることに合意をしたのである。当時の状況下では「適当に処置」となっていたので、戦後の横浜裁判でその責任の所在が追求されたのである。戦後の九州大学では1945年の医学部事件を語るのは禁忌されており、事件の当事者も語ることを避けている。上坂冬子:著「生体解剖」(毎日新聞社:発行)を読了したが、数日をかけて読む積りだったが一気に読み上げてしまった。何れは銃殺されるのだから、生きたまま解剖しても結果は同じことだ・・・という医学者の論理が正当化されていたらしい。「コレラの予防注射」と偽って麻酔を多量に注射する。意識が朦朧とした米兵にエーテルを嗅がせ、昏睡させてメスを入れる。血液の代用として海水を注入して、どれだけ生存できるかを調べる。肺を全部摘出しているから、やがて脈は止まる。その後で解剖学の教授が臓器を標本として採取する。本来は死後24時間以内の解剖は禁じられているのだが、(どうせ銃殺されるのだから)という思いが医学研究者の意識を正当化させていたらしい。原子爆弾は非人道的な兵器であるが、「生体解剖」はそれを上回る非人道的な行為と言える。敗戦が決まると軍部と「生体解剖」に関わった九州大学医学部の当事者は、捕獲した米兵の一部は広島の原子爆弾で死んだことにして嘘の記録書類を捏造している。これらは横浜裁判で明らかにされたが、三十余年が経ってから上坂冬子氏が事件記録の信憑性に疑問を抱く。そして丹念に記録を調べて事件の当事者に取材をしたのである。そして上坂冬子氏は事件の当事者の一言に衝撃を受ける。「戦時中のその状況下では、致し方なかったのでは?」と語る上坂氏に「そういう考え方がいけないのです!」と彼は言い放つ。何が何でも医師として、人間として「やってはならない」ことを、「仕方が無い」と同調しては駄目なのだと言う。「生きた人間を解剖してはいけない」と主張し続ける勇気が自分には無かったから、師とあおぐ教授の指示に同調して従ってしまった。あのときに「仕方が無い」と諦めずに、教授を説得するべきだったと語るのである。本当に「致し方無かった」のかどうかは、米兵から脱がせた衣服の洗濯を断固拒否した看護婦が、当事者から何の制裁も課せられなかった事実が有る。嫌なら嫌と断固拒否する勇気が無かったので、周囲に流されて「生体解剖」という犯罪に加担する結果となったのだと言う。日本人は曖昧な人種である。自己主張は禁忌である。「長い物のには巻かれろ」と言う諺が有る。巻かれては駄目なのである。


9月23日 (月)  

今までは気にしていなかった「歩行者用信号機」には、色々な形状があることが分かった。先日、太陽の光で打ち消されていた信号機の光は、それなりの理由が有ったと思う。現在、歩行者用信号機には大別して2種類がある。一つは人の形が白く表示されていて、バックの全体が青色や赤色のライトになっている形状のもの。もう一つは人の形そのものがLEDライトで表現されているタイプである。前者と後者の決定的な違いは信号機の上方にある庇(ひさし)である。この庇は雨除けが目的なのか、太陽の光が信号機の光に直接当たらないようにするのが目的なのか分からない。前者の人の形が白くなっている信号機の庇は大きいから、太陽の光が直接当たっても庇の影が出来て色の認識が容易である。後者の最新型LED式信号機は庇の部分が殆ど無い。何故、新型信号機で庇を小さくしたのか理由が不明である。従来のような大きい庇が備わっていたら、太陽光が直接当たっても庇の影が出来て誤認識は防げたと思う。信号機を作る会社は沢山あるから、色々な形があるのは分かるが、歩行者の安全を考慮しない新型LED信号機の設置は問題が有るとおもう。


9月22日 (日)  

歩行者用信号機が青色の時、歩行者は横断することが出来る。このことで昨日、危ない思いをしたので記しておく。時刻は午後3時半頃であった。その日は晴天で太陽の光は地上をあまねく照らしていた。丘の上の交差点は見通しが良い分、太陽光が直接信号機にあたってしまう。近頃の信号機の光源はLEDなので、正面から直接見る時と横から見る時では明るさが違っている。私が歩きながら信号機を見た時、歩行者用信号機は青色に見えた。車は停止線で止まっているから車の信号機は赤色なのだと思った。確認しようとしたが太陽光が反射して赤も青も同じ明るさに見えた。結果は私が横断歩道を渡り終える直前に車が発進をした。これまでの経験からタイミング的に考えると、私は歩行者用信号機が赤色になっているのに渡り始めたことになる。歩行者用信号機にも太陽光があたっていて、私は青色が点灯していると認識したが、それは見間違いだったようである。あと1秒遅く渡り始めていたら、私は青信号で発進する車と接触していたと思う。太陽光が強くあたっている信号機の色は判別が困難である。太陽光が直接あたる丘の上の交差点では、慎重に信号機の色を確認して横断をしないと危険である。自分には青色に見えても、太陽光が反射をしているだけなのである。自分が運転席に座っていたら、逆の場合も考えられる。目の前の信号機が青色に変わっても、歩行者が横断を始める場合が考えられる。太陽光が強くあたる晴天の日は、丘の上の交差点では歩行者の動向に注意する必要があると思う。


9月21日 (土)  

昨日の20日が「彼岸入り」で、26日が「彼岸明け」になっている。知り合いが入院中なのでお見舞いに行こうとしたら、「待った」の声がかかった。どうやら「彼岸」の期間中に病人を見舞うのはタブーになっているらしい。関東でも関西でも状況は同じらしい。もちろん科学的な根拠などは無いが、病人が気にしなくても周囲にそのことを気にする人がいる可能性があるから駄目なのだと言う。極端な話が午前中に彼岸の墓参りをして、午後から病人の見舞いに行くケースが考えられる。もしも数珠を持参したまま病室に入ったら、間違えてバッグの中から数珠を出してしまう可能性だって否定することはできない。仏教学的に考察すると「彼岸」は忌み嫌うものではなくて、むしろ尊いことなので彼岸の期間中に病人を見舞うことは仏の教えに背くものではないとされる。然しながら、仏教学的に正しくても見舞われた本人もしくは周囲の人が「縁起でもない」と受け止めてしまうおそれがある。どうしても彼岸期間中でなければ見舞うことが出来ない場合には致し方無いのかも知れないが、出来れば彼岸明けを待ってお見舞いに行った方が無難らしい。学術的に正しい理屈が通らぬことは、世間には良くあることである。


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