Diary 2014. 4
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4月30日 (水)  

昨日は狭山市市民会館で「フジコ・ヘミング/ヴァスコ・ヴァッシレフ」の公演を聴いて来た。当初はまったく予定していなかったのだが、狭山市での公演開始時間が午後5時であることから、帰宅時間はそれほど遅くならないと判断された。最後に残されたヴァスコ公演の機会を聴きそびれるのは勿体無いと思い、狭山市市民会館へ向かった。事前にGoogle地図で周辺の状況を下調べしておいたので、無事に辿り着くことが出来た。狭山市駅から会場までは徒歩で8分となっていた。途中で大きな観音様に気が付いたので記念に撮影をした。狭山市市民会館前でも記念に撮影をした。都内の有名な音楽ホールは随分と通ったが、少し離れた場所のホールに行くのも小旅行気分で楽しめる。それでもここら辺りが公演に行ける限界かと思う。帰りにお土産として狭山茶の購入を考えていたが、駅の付近にそれらしい店は無かったように思う。丁度今頃が新茶の季節なので、もう少し店を探してみれば良かったと思う。狭山茶はとても美味しいから。

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4月29日 (火)  

今朝の東京新聞に衝撃的な記事が掲載されていた。「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)に別の遺書が存在することが明らかになったと言う。ニュースは速報性に於いてテレビやインターネットと比較して、紙を媒体とする新聞は不利な立場にある。この春の消費税の増税で、節約の観点から新聞の購読を中止した家庭が多いそうである。今の時代には速報性よりも、今回の記事のように独特なスクープに重点を置いた方が、新聞の特質を存分に生かせると思う。肝心の「きけ わだつみのこえ」の本については、過去に読んだ記憶がある。然しながら年月の経過と共に書かれていた内容の記憶が曖昧になっている。これを機会にもう一度本書を読み返したいと思う。東京新聞の記事では既に発刊されている「きけ わだつみのこえ」では削除や加筆されている部分があり、意図的に編集されていたと言う。学徒兵・木村久夫は戦後にB級戦犯として死刑の宣告を受けて処刑されている。彼は上官の命令に従っただけなのに、上官は無罪だったと言う。この理不尽が戦争のすべてを物語っている。今日は「昭和」の日であるが、「昭和」は日本の歴史に壊滅的な大敗戦の記録を残した年号なのだ。歴史は繰り返されると言う。また新たなる世界大戦が起きる可能性は時々刻々と高まっている。


4月28日 (月)  

新しいイヤホンを購入したことで、大切な宝物を再発見することが出来た。それは机の引き出しの奥に眠っていた古い携帯音楽プレーヤー「alneo」の中に録音していた曲で、レナード・バーンスタインのベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の演奏である。この音色は極めてフジコさんに近いと感じられたが、それは極めて当然なのかも知れない。フジコさんとバーンスタインのことはよく知られているが、今になってバーンスタインの音色を聴くと、琥珀色の輝きがある音色はお二人に共通する響きであることが強く感じられた。もしも土曜日にイヤホンが断線しなければ、ここでバーンスタインの音色を聴きなおすことは無かっただろう。忘れかけていた大切な宝物の曲が次々と思い出された。壊れたと思って机の引き出しの中に入れっ放しにしていた「alneo」だが、新しいイヤホンで聴くと、今まで聴こえなかった微かな音がハッキリと明瞭に聞こえる。7年の間にイヤホンの技術が進歩したのだろう。新しいイヤホンはとても素直に音を再現してくれた。価格的には断線したイヤホンよりも安価であるが、性能的には同等以上だと思う。今夜はバーンスタインの「皇帝」をじっくり聴いてみたい。


4月27日 (日)  

ずっと愛用していたイヤホンが、ついに断線してしまった。これはSONYのMDR-EX90SLと言う製品で、購入したのは平成19年9月7日である。およそ6年半以上も酷使していて、今まで断線しなかったのは凄いと思う。フジコさんのCDを聴いたり、散歩中に音楽を聴くときに使っていた。この製品以外にもイヤホンは沢山持っていたが、どれも1〜2年で断線してしまった。購入時の製品価格は1万円近かったと思う。残念ながらこちらの製品は製造が終了していて、同じ製品を入手することは出来ない。これと同等以上の性能を有する後継の製品は数万円すると思われる。MDR-EX90SLはファンが多くて、後継の製品を探す人は多い。イヤホンはいつかは断線する消耗品なので、1万円を投入するのはやめて、そこそこの製品に買い替えることにした。今日は暑かったので図書館のウォータークーラーで冷たい水を飲もうとしたら、同じように水を求める利用者が多くてなかなか飲むことが出来なかった。家電量販店でイヤホンを購入してトイレに入ったら、これも大混雑していた。今日はどこも人が多くて、世の中は毎年恒例のGWに突入したらしい。購入した新しい安価なイヤホンでいつもの音楽を聴いたら、音が少しもの足りなく感じられた。ところが家に戻ってから他の音楽プレーヤーで再生したら、MDR-EX90SLとは違った意味で音の良さを感じ取ることが出来た。考えてみると7年近くも経過すると、幾ら高級なイヤホンでも製品の劣化は免れないだろう。今まで聴こえなかった音が聴こえるようになったと思う。今度購入した製品は素直な音がするので、再生機器の特徴を反映しているらしい。また新しい相棒と音楽を聴きながらのウォーキングをしたいと思う。


4月26日 (土)  

間も無くゴールデンウィークに突入するが、今年は飛び石連休だと言う。消費税が上がり、金欠病に苦しむ人々にも等しくゴールデンウィークは訪れる。ここまで来たら一年の三分の一が過ぎたことになる。何とも「光陰矢の如し」であるが、この様な時間がいつまでも続く筈も無く、やがては終わりが始まるのだ。今までの寒さが嘘のように消えて今度は暑さがやって来る。これをあと何回繰り返すことが出来るのだろうか。「光陰矢の如し」とは、太陽と月が巡る歳月は矢のように飛んで行って二度と戻っては来ないから、一日を無為に過ごしてはならないと言う戒めなのだと言う。


4月25日 (金)  

注文していた枕が本日届いた。この枕については販売元の公式サイトで「定価よりも安く売られている場合には正規品ではありません。定価以外は偽物です」と明記されている。これって独占禁止法に抵触しているのではなかろうか。私が注文した商品は定価よりも2,000円ほど安かった。定価よりも安かったから注文したのだが、公式サイトでは「偽物です」と断言している。「ルイ・ヴィトン」の偽物については多く出回っているそうだが、果たして「枕」でも同様なコピー商品が出回っているのだろうか。疑心暗鬼で配達された段ボールの梱包を開くと、どこをどう見ても本物としか思えない状態だった。ブランドのロゴも全く同じだし、製造業者も本物と同じだった。こうなると同じ製造業者が本物と偽物とを作っているとしか理解できない。もしも届いた商品のロゴが違っていたり、製造業者が異なっていたら詐欺商品ということになる。枕本体に縫われているロゴを虫眼鏡で観察しても、公式サイトのロゴと全く同じ。本物が2,000円も安く売られているのか、または精巧な偽物が作られているのか分からない。これだけ本物そっくりに作られているなら、本物でも個体差の範疇に入ると思える。公式サイトは定価よりも安く販売することを禁じている分けではなくて、定価よりも安く売られているのは偽物と断言しているだけである。材質も本物と全く同じで使用感も本物と似ている。「枕」と言う字は木に頭を沈める意味だという。「枕」と「沈」は似ている。もう一つ似ている字が有った。それは「耽」である。意味は「ふける。夢中になること」だという。私はフジコさんの演奏を聴くことに耽っているのだ。そして今夜は新しい枕に頭を沈める。どんな夢を見るのだろうか。


4月24日 (木)  

私は慢性的な不眠に悩まされているので、枕を替えてみたらどうだろうかと考えた。ネットで検索をした結果、ある商品に辿り着いた。使用者の感想を読むと実に様々である。同じ商品なのに枕が「高すぎる」と言う人と「低すぎる」と言う人がいる。同じ枕でも「固すぎる」と言う人と「柔らかすぎる」と言う人がいる。違う商品ならば理解も出来るが、同じ高さで同じ固さの枕を別の人は低いとか柔らかいという評価をしている。これらの感想を読んでいて、これは音楽を聴く人の感想に似ていると思った。同じ演奏を聴いても、音が固いと感じる人と柔らかいと感じる人がいる。どうやら万人に向く演奏と枕は存在しないようである。聴き手と演奏家との相性は、まるで枕と使う人との関係に似ている。私は色々なピアニストの演奏を聴いているが、フジコさんの演奏だけが私の心に響くのである。世界各地のコンクールで入賞経験を持つ著名なピアニストの演奏が、私の心にはまったく何も響かないのは何故なのだろうか。それは私とその演奏家との相性の形が違っているだけで、その演奏家の音色に感動する聴き手はきっと多い筈である。近日中にフジコさんの演奏を聴く予定だが、その日の感動の大きさはその日のフジコさんとその日の私の状態による。札幌でのコンサートを終えたフジコさんが、どのような音色を奏でてくれるのか。明日は注文した枕が届く予定である。


4月23日 (水)  

韓国船の沈没事故で船長が真っ先に逃げだしたのは、船荷を過積載しているので船が転覆する危険を誰よりも一番良く理解していたからではないだろうか。今回の沈没は通常の事故ではなくて、物理的に考えて沈むのが当然な転覆だったと考えられる。船の積載能力を超えて荷物を積んで復元力を失い、バランスを崩して転倒したのだから自然の法則に従って転覆したのである。修学旅行や遠足の実施に原因があるのではなくて、普段から過積載の横行を許しているような安全システム管理の欠如が問題だと言える。道路を走行しているときにダンプカーが「最大積載量=積めるだけ」というステッカーを貼って走っているのを見たことがある。これも車両が転倒して大事故を起こすまで、運転手は物理法則の理解が出来ないのだと思う。救助が遅れたのが原因ではない。普段から安全な運行を無視して、超過積載を繰り返して来た運行会社と、沈没する可能性が大きい船の出向を許した仕組みが今回の不幸に起因していると思う。荷物の積み過ぎで転覆する船を出向させてはならなかった。何よりも安全を第一とするのは、利益の追求に反すると考える限り、今回のような不幸の発生は永遠に続くのだろう。およそ人命を預かる交通業務に関しては、安全第一主義を徹底的に貫いて欲しいと思う。


4月22日 (火)  

韓国船の沈没事故に驚いて、その救命活動に注視をしているが、日本国内でも考えられないような無自覚・無責任な交通事故が多発している。20日には名神高速道路で観光バスが逆走して対向車線を走行中の車両11台を巻き込む事故となり、9人が怪我をした。事故の原因は運転手の居眠り運転だった。この事故の数時間前に運転手は脇見運転で追突事故を起こしており、乗客を代替車両に移して大阪の会社に戻る途中だったという。しかも運転手は事故を起こした運行会社の社長だというから呆れた無責任者である。今日の朝には福岡県で幼稚園バスの運転手が停車中の軽自動車に追突して、運転手はパニック状態になって20メートルもそのまま走行し続けた。この二つの事故は運転者の持病が絡んでいるのかも知れないが、体調が悪いのならば運転をしてはいけない状況だった。船であろうがバスであろうが、乗客の命を預かっているのだから、その責任は極めて重い筈だ。船長は真っ先に脱出し、バスの運行会社の社長は居眠り運転をし、幼稚園バスの運転手は園児を乗せて追突した。これは4月と言う陽気のせいなのだろうか。韓国では遠足も修学旅行もすべて中止する決定が為されたという。どこにどんな危険が潜んでいるか分からない。自分が安全運転をしていても、対向車線から観光バスが飛び込んで来たら避けることは出来ない。


4月21日 (月)  

ニュースは韓国船の沈没事故を大きく報道している。船長を始めとする乗務員の殆どが真っ先に救助されたことに対する非難が、世界中から怒涛の如くに押し寄せている。人間は極限状況の中では何をするのだろうか。大人は子供の背中を乗り越えて逃げたとも伝えられている。NHK出版「終戦60年企画 あの日」を読むと、空襲で火の海の中を逃げた人の中には、救いを求める他人の手を振りはらって自分だけ逃げて助かったという人が多い。ある人は防火用水を見つけてその中に飛び込んだら、既に誰かが入っていた。その人は布団を頭から被って火勢を防いでいたが、その人と布団を引っ張り奪い合いながら我が身を守っていた。火の中を逃げ惑う人達の手が防火用水に入ろうとしたとき、彼はその手を振りはらって水が少しでも減ることを防いだという。誰もが直面している死から自分の身を守ろうとするのは当然であろう。火の勢いが弱くなった頃、防火用水の中で布団を引っ張り合っていた人の顔を見たら、なんと燃える自宅から先に逃がしていた自分の母親だったという。韓国船沈没事故で乗客よりも先に避難をした乗務員は責められて然るべきだろうが、もしも自分があの船の乗務員だったら、やはり同じように乗客よりも先に逃げていたのではなかったろうか。極限状況下で自己の職責を全うするのは実に立派なことだと思う。それが自分に出来るかどうかは、実際に極限状況になってみなければ分からない。


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